動画編集って“カットだけ”でよくない? 脱・過剰編集が生む、視聴体験の再構築
第1章:「編集がうるさい」と感じたことはないか?
YouTubeやTikTokを開けば、テンポよく切り替わるカット、過剰なテロップ、効果音の連打──。
まるで“視覚のジェットコースター”だ。数年前から「動画編集=派手に盛ること」といった潮流が定着し、多くのクリエイターがその様式に倣ってきた。
だが、今、その“うるささ”にうんざりしている視聴者が増えているのをご存知だろうか?
「情報が多すぎて疲れる」「無理に笑わせようとして寒い」「編集が邪魔で内容が入ってこない」──。
これは、SNSのコメント欄に現れる“無意識の拒否反応”である。
実は、「あえて何もしない」ことにこそ、新しい動画の可能性があるのではないか?
今回はそんな問いから始まる、“カット編集だけ”というシンプルな映像表現の本質に迫ってみたい。
第2章:「編集=加えるもの」という呪縛
「動画編集」と聞くと、何を思い浮かべるだろう?
テロップ、BGM、効果音、トランジション(映像切り替え効果)など、いわゆる“足し算の技術”が浮かぶのではないか。
だが実際のところ、編集とは“足す”ことより“削る”ことが本質だ。
いらない間(ま)を削る、余計な言葉をカットする、視線の導線を整理する──。
これらはすべて“見せたいものだけを残す”という、引き算の美学で成立している。
映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコックも言っていた。
「サスペンスは“見せない”ことで成立する」
この発想は、現代のYouTubeにも通じる。
無理に音を入れたり、目を引かせようとチカチカさせたりすることは、むしろ“見せたいもの”をぼかしてしまっているのだ。
第3章:「カット編集」だけで魅せる──本質を突くミニマリズム
“カットだけ”で動画を作る──このアプローチは一見、初心者向けの簡易編集のように見える。
だが実際は、最も洗練されたプロの技法のひとつだ。
たとえば、以下のジャンルでは“カットのみ”の編集スタイルが逆に評価される傾向にある:
- Vlog(ブイログ):日常の風景や所作を、ただ淡々と切り取っただけの映像が「リアルで心地いい」と人気。
- 料理動画:音や雰囲気を大切にするため、BGMも入れず、カットだけで“調理の流れ”を丁寧に見せるスタイルが流行。
- ルーティン動画:朝の準備や掃除などを淡々と映すことで、視聴者の“集中と共感”を誘う。
こうした映像に共通しているのは、「視聴者を信用している」という点だ。
過剰に説明したり、笑わせたり、盛り上げようとしない。視聴者の解釈に委ねることが、むしろ深い没入感を生む。
第4章:「視聴者の集中力は8秒」は嘘かもしれない
「今の視聴者は短気だ」「8秒以内に惹きつけないと離脱する」──この神話、よく聞く話だ。
だが実はこの“8秒説”の出典は不明瞭で、Microsoftが2015年に発表したレポートに端を発しているとされるが、実験の方法論も信頼性も不確かだ。
実際、NetflixやYouTubeの人気動画の多くは“静かで、間があり、変化に乏しい”。
むしろ人は、「意味ある沈黙」や「丁寧な間(ま)」に吸い寄せられる性質がある。
とくに映像制作に関わるプロならば一度は考えたい。
「本当に“短く、派手に、テンポよく”が正解なのか?」と。
第5章:なぜ“過剰編集”が増えたのか?
- 「飽きさせないこと」が至上命題になった
バズ動画、アルゴリズム、インプレッション数──。
視聴維持率を稼ぐため、派手なエフェクトで“目を奪う”編集が流行した。 - 「編集ができる=すごい」という勘違い
編集スキルの可視化が目的になってしまい、「この動画、編集がすごいね」と言われたいクリエイターが急増。 - 動画編集代行市場の拡大
編集業者にとって、シンプルなカット編集では単価が安いため、“盛り編集”が商売上求められる構造になっている。
このような背景から、動画は「内容より見た目」が重視され、視聴体験より“編集の見せ場”が主役になってしまったのだ。
第6章:AI時代に求められる“編集しない勇気”
生成AIが発展し、動画の自動編集も一般化しつつある。
BGMを自動で選び、テロップを自動生成し、構成までAIがやってくれる──。
だが、そんな時代だからこそ、人間にしかできない判断がある。
「削る」「間を残す」「見せない」という判断は、今なお人間的で、感性的な技術だ。
「編集しない選択をする」ことは、今後の動画制作において、逆に差別化の武器になる。
AI時代における編集者の役割とは、“編集すること”ではなく、“何をしないか”を決める力にあるのではないか。
第7章:“削る編集”の実践テクニック(初心者向け)
- カットの基準は「意味があるかどうか」
1秒たりとも“意味のない映像”を残さない。
話が脱線している、動きがない、視線が迷う──そんなカットは即削除。 - ジャンプカットを恐れない
間を詰めることでテンポ感が生まれる。多少飛んでも視聴者は意外と気にしない。 - 視線誘導に合わせたカット割り
人間の視線は“動くもの”に引き寄せられる。話している人、手の動き、視線の先を追うようにカットを入れると、スムーズに見える。 - あえて「間」を残す
言葉と沈黙のバランスを意識する。余白があることで、言葉に重みが宿る。
第8章:結局、視聴者が見たいのは「人」だ
どれだけ編集が派手でも、カメラの向こうに“人間の息遣い”が感じられなければ、動画は記憶に残らない。
逆に、素朴な編集でも、素の表情、リアルな空気感、微細な間(ま)──そうした“人間らしさ”があれば、視聴者は心を動かされる。
動画編集とは、「伝えたいことが伝わるように、邪魔なものを取り除く作業」だ。
それは、表現を飾る技術ではなく、“表現の輪郭を明確にする”技術である。
終章:飾らない編集が、心に届く時代へ
派手な編集が溢れる今だからこそ、シンプルで素朴な動画が刺さる。
“カットだけ”という潔さが、逆に視聴者の信頼を勝ち取る時代がやってきているのかもしれない。
動画編集とは、「足し算」ではなく「引き算」の芸術だ。
過剰な演出を手放したとき、そこに本当に伝えたかったもの──言葉、表情、空気──が浮かび上がってくる。
あなたの次の編集作業が、“足す”のではなく“引く”ことから始まるように。